オープンから10年、研究と研鑽を重ねて理想の店舗への道を進む。今日も進化を続けるシェフの追い続ける理想の料理、そして目指す店舗とは? JR埼京線板橋駅から徒歩8分、都営三田線の新板橋駅と板橋区役所駅の中間あたりにある店舗を訪ねた。
■連日顧客に発信するメルマガ戦略
週に5回。iPhoneやPCに一風変わったメルマガが届く。話題は「美食、グルメ、ガストロノミー」だが、タイトルが面白い。
「入信しませんか? 今週末限定です」
「Macdnaldに行こう!?」
「料理は見た目が9割?」
「恐怖貸します」
例えば、冒頭の「入信しませんか?」の回ならば……。
「~誰か(私の)信者になってみませんか? 今ならVIPです。まずは一緒に教義をつくりましょう。教義は『美味しい食事は美味しい』。そんな布教活動の第一弾として、今週末〇日から〇日の3日間限定のショートコースをやってみます。メニューは、濃厚カボチャのスープ、栗とブルーチーズのパスタ、猪と鹿のパテ等々~」
メルマガの配信数は約800。発信者は伊藤進平さん。庶民の町、板橋にあってファンの間で「ハレの日キッチン」、「お祝いの日のとっておきビストロ」などと呼ばれる『Bistro むじか』のシェフだ。
メルマガの狙いをこう語る。
「ストレートに料理の情報だけでなく常にフックを考えて、面白い話を常連さんに提供したいのです。面白い、食べたいと思ってくれれば来店数も増えますから」

■美食のコミュニティづくり
『むじか』の料理は、全国各地のいわゆる「こだわりの生産者」から取り寄せた食材でつくられている。店内にはカウンター7席、コンロ4基、オーブン1台。低温調理器はあってもコンベクションオーブンはない。しかもワンオペだが、伊藤さんは理想のクオリティを追求する。
「肉ならばガツンと、ただしテイストと火入れは完璧なガストロノミー(高級店舗)のクオリティ。そしてソースはシンプルにフュメ(魚出汁)とフォン・ド・ボライユ(鶏ガラ出汁)」
周囲には「板橋値段(都心の同レベル店よりも2~4割安)」で提供する店舗が多いが、メインディッシュには値の張る料理を並べる。バベットステーキ7500円、鴨のロースト5900円、鹿のロースト5200円といった具合だ。
「客単価1万円前後で美味しく食べていただくことを考えています」という経営戦略が「ハレの日ビストロ」、「とっておきの店」と言われる由縁だ。
伊藤さん、ふらりと入って来る一見のお客さんを大切にしながらも、自分の味を信じ、美味しい食材を求めて「この日にこの料理」、「この人とこの皿」という顧客を囲い込む「コミュニティづくり」を目指している。

■情報を集め、全国の生産者を訪問
オープン当初はランチ営業もしていたが、開店2年目に中止。昼の仕事量を減らして食材と向き合いメルマガを配信したりポップをつくったりして売上を伸ばすためだ。
講演会や情報交換会には現在も足しげく通い、持ち前の探究心が三重県にある愛農高校養豚部の『愛農ポーク』との出会いを導いた。
「脂が甘くて美味しい。食材がいいと料理をする気持ちも晴れやかになることを知りました。以来、ひたすらいい食材を求めています」
ネットや人づてに情報を得るだけではない。伊藤さんは現地に赴いて仕事ぶりや生産者の人間性を肌で感じてから取引する。ある時は、宮城県石巻の山奥で鹿と鴨を追うハンター、小野寺望氏の工房を訪ねて作業服を着て仕留めたての鹿の皮むきや肉の仕分けを体験した。またある時は「ファーム・トゥ・テーブル(農場とレストランテーブルを直結する)」を実践する浅野悦男さんの農場に出かけて広い農場で生き生きと育つ野菜を見ながら新しいメニューを思い描く。

■三つ星から学ぶ調理方法
都内でのレストランでの修行後、前職の給食会社の料理人(社員数1000名程度の工場の昼食担当)だった頃の伊藤さんは、絶妙な火入れで「肉の魔術師」とも言われたアラン・パッサールという料理人に憧れていた。今は、火入れに定評のある高良康之さん(ミシュラン1つ星の『ラフィナージュ』のシェフ)を師匠と仰ぐ。
「高良さんはコンベクションオープンを使って90度で肉を焼きます。私は鉄板ですが、肉にストレスがかからない90度から100度で焼くようになりました」
『愛農ポーク』に出会った開店2年目頃は素材に見合った火入れの技術はなかったと振り返る。が、以降、あらゆる手を使って技術に磨きをかけてきた。現在はオーブンでは焼かず、たんぱく質をコントロールできるから鉄板で焼く。「調理技術は原点回帰。シンプルになっています」。
言ってみれば「むじか」の狭い調理場は実験室。理想の食材が届くたびに伊藤さんの中で調理技術の引き出しが増えていく。
もっとも、伊藤さんが提供したいのは気に入った素材を使った理想の料理だけではない。「ビスク」や「ミキュイ」といった聞き慣れない単語をメニューに使うのにも理由がある。「甲殻類のソース」や「半生火入れ」とあえて書かないことで尋ねる来店者との接点を増やし、「会話も弾む至福のひと時を楽しんでほしい」。
独自のやり方を貫き、現在は月の来客数が70人から120人。このバラツキを少なくして売り上げを増やすために何を工夫すればいいのか――。伊藤さんの試行錯誤は終わらない。
取材・文/神山典士

◎店舗情報
店名:Bistroむじか
住所:〒173-0004 東京都板橋区板橋1丁目42-10 レオ板橋 101
営業時間:18:00~22:00
電話番号:03-4285-5217
定休日:水曜日・他不定休あり(※詳しくはお知らせを確認)
アクセス:JR埼京線板橋駅から8分、都営三田線新板橋駅板橋区役所前駅から徒歩6-8分
席数:カウンター7席
HP:https://bistro-musica.com/
※「修業歴ゼロのシェフが作る料理」に関する記事は以下より
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