フランス・パリに日本食ブームの第三波が届き、日本風と銘打つ洋菓子店が乱立するのに目もくれず、南仏で「自分の作りたいフランス菓子を作る」という信念を胸にわが道をいく日本人パティシエがいる。2017年にゴッホで有名なアルルにパティセリー(フランス菓子店)を構えて以降、着実に地元の人々の評価と愛着を勝ち取ってきた店を訪ねた。
■プロバンスへの愛と偶然に導かれアルルに
アルル旧市街の中心に向かう閑静な『4SEPTEMBRE通り』に山本正樹さん(48歳)のパティセリーはある。色とりどりのガトー(ケーキ)に加え、ブリオッシュやパン・オ・レザンといったパンやペストリー、チョコレートなど数々の甘味を楽しめる店だ。パネトーネ、クグロフのような焼き菓子も豊富で、数は少ないが自家製パンオレを使った人気のサンドイッチもある。厨房の設備の良さで選んだという店はこぢんまりしたサロン・ド・テにもなっており、4つある小さなテーブルで、カフェや紅茶とともに店内でお菓子を味わうこともできる。地元客のほとんどは持ち帰りだが、最近増えた観光客は座って食べていくことが多い。

もともと神戸でパティシエをしていた山本さんが特殊技能を持つ者に与えられるビザを取得して渡仏したのは、2010年のこと。マルセイユのパティセリーで6年働いたあと、「伝統的なフランス菓子で勝負し、そこから自分がこれまでやってきた色を出していきたい」と、夫婦で店をオープンした。マルセイユでプロバンスの太陽に魅せられたという2人の目には、パリはまったく入っていなかったが、アルルを選んだのは、ほぼ偶然。マルセイユで店舗を探していたところ、アルル出身の同僚の薦めで訪れ、たまたまいい物件を見つけたのだ。とはいえ当時のアルルは、祭りの時期のほかはやや寂れていた印象もあり、経営コンサルタントは渋い顔だった。反対にケーキ職人ら現場の人々は、「アルルは絶対いける」と背を押してくれたという。アルルが季節を問わず訪問客が絶えない活気ある町に変貌したのはオープン後しばらくしてからだ。


■「フランス人の感性に受け入れられるか」という挑戦
地元の人々によく出るのはタルトやミルフィーユのような伝統菓子だが、着実にファンを増やしているのが、クラシックなフランス菓子のベースに山本さんの独創性が織り込まれた『山本風』ガトーだ。フランス人の感性が好きだという山本さんは、「彼らの感性に自分のお菓子がどこまで受け入れられるか、というチャレンジだった」と話す。オリジナル・ガトーは、口に入れると甘みや酸味、さまざまな味の混合が調和しながらも舌の上ではじけ、いったい何が入っているのかと想像をかきたてられる。現在、抹茶シュークリームなど『日本風』の甘味はパリで人気だが、朋子夫人によれば、日本風の洋菓子で売ろうという意図は当初からなかった。神戸で一時期、山本さんと同僚だった元パン職人の朋子さんは山本さんの意図を代弁し、「抹茶や柚子を使ったり、みんながまだ知らない日本の素材を取り入れたりするのは簡単なことですが、それで売りたいわけではない。そのこだわりはいまもあります」と話す。



山本さん自身のお気に入りは、ジャスミン茶風味のクリーム、マンゴとグレープフルーツのピュレ、ココナツのムースなどが層をなし、コクと爽やかさが協演する『アノイ』というグラス入りの一品。かつて勤めていた神戸ポートピアホテルの『アラン・シャペル』はリヨンにある三ツ星レストランの支店だが、その店のジャスミン茶風味のクリームブリュレに着想を得て、より甘みを抑え酸味を加えるなどのアレンジを施して完成させた。素材はなるべく地元産のものを使う方針で、南仏では果物も旬のものしか出回らないため、ケーキは春夏・秋冬で衣替えする。そして年に1、2回ほどは、新しいガトーを考案。この創作の過程が、山本さんにとっての一番の楽しみだ。
Text by Kayako Kimura

※「フルーツサンドに込めた思い」に関する記事は以下より
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